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  2003. 4. 14

  「マヴェリック II」今夜フィニッシュ?


07:00のポジション

4月14日午前7時
 トップを走っている「マベリックII」は4月14日午前7時現在、紀伊水道で33ー6'45"N -134ー22'22"Eと四国にへばりついております。
 風は北、寒くてずぶ濡れだそうです。 このままの調子で行くと、今夜以降のフィニッシュの可能性が大です。


12:00のポジション

4月14日午後0時
 潮流を避けて四国の岸沿いのコースを取っていた「マベリックII」は次第にスピードを増し、紀伊水道を8〜9ノットで順調に走っている模様です。


17:00のポジション

4月14日午後5時
 「マベリックII」は紀伊水道で向かい風に阻まれ苦労しています。
 アルゴスデータでは、午後10時過ぎのフィニッシュとなっていますが、レース委員会では夜中以降という予想です。



ENTRY No.10「MAVERICK II」
レース艇の現在位置


  ウェルカムも準備万端!



 大阪では、ホストヨットクラブである大阪北港ヨットクラブがフィニッシュラインからハーバーまでレース艇をエスコートします。
 その後、入国手続きとなりますが、終了後に「歓迎セレモニー」をハーバーで行います。 この担当は、「歓迎委員会」で大阪港で活躍する市民ボランティアさんたちによるものです。
 帆船「あこがれ」ウィンズクラブ(「あこがれ」のボランティア)、Sail 'O'(大阪港で客船が寄港したときなどにインフォメーションデスクを担当)、SGGクラブ(ボランティア通訳)等の組織が協力してくれています。


大阪北港ヨットクラブ
帆船「あこがれ」ウィンズクラブ


  「マベリックII」の写真が新聞掲載


 本日午後5時頃、紀伊水道で向かい風と闘う「マベリックII」を読売新聞大阪本社が撮影し、明日の朝刊(少なくとも大阪版)に掲載される予定です。
 事件の都合で変更されることもありますのでご了承ください。


読売新聞ホームページ
ENTRY No.10「MAVERICK II」
レース艇の現在位置


  台風2号(クジラ)発生


 レースコース上に発生した台風2号(クジラ)は14日00:00Z現在、北緯10度03分東経147度03分にあり、9ノットで西北西に向かっています。 最大平均風速は90ノット、瞬間最大風速は110ノットに達しています。 今後の数日には北西へ、そして北へ変進する予測です。

 定時交信によると、「サラク」と「ルイーズ」は、プルワット環礁に錨泊していましたが、現在はレースに復帰し、再び走り始めています。
 また、「ブーツ」は気象予測が好転するまでウルル島に錨泊する予定です。 同艇は南の25から30ノットの風を受けているということです。


気象庁台風情報
ENTRY No.16「SALAKU」
ENTRY No.18「LOUISE」
ENTRY No.9「BOOTS」
レース艇の現在位置


  ブーツの日記


4月14日(月)

 なんてことでしょう。 北西の大阪へまっすぐに向かっている今、巨大な波、ハリケーン「クジラ」の予報という難題に直面する。 <ルイーズ>はこの2日間ほとんど進んでいないと聞いていたが、定期無線の後でようやく彼らと連絡がとれた。 彼らは、ココナッツをすすりながらパルムット(?)とかいう環礁の影で停泊してハリケーンが過ぎ去るのを待っているそうだ。 私たちのクラスの3番目の艇である<サラク>は、そこから3マイルほど離れた位置にいたが、やはりシェルターを求めてそこへ向かっているとのこと。 

 私たちは、オノン諸島の最も西よりに位置するウルル島が、西のうねりや風からは一番守られているようだったので、そちらへ向かうため進路を北にとった(といっても環礁の木々のてっぺんですら、水位上72の高さしかないのだけれど)。 午後4時ごろにウルルに到着して、水深6メートルの海岸付近にアンカリングした。 航海上の不思議、私たちがリーフに囲まれた中へ入ると、GPSは実際の位置よりも1マイル東の位置を指し示した。 変なの。 

 私たちがアンカーを降ろし終える前に、現地の住人たちがアウトリガー・カヌーに乗って近づいてきた。 最初に乗り込んできたのは、新しい島の長、フィリップだったが、すぐに他の人々もやってきた。 彼らはラグーンの中の方がより安全だと教えてくれて、私たちがその位置を確認する間もなく、私たちのアンカーを島のモーターボートに乗せ、その方角へ先導してくれていた。 20人ほどの住民が艇上に居て、複数のアウトリガーがスターンからぶら下がっている。 

 ビデオを持ってさえいたら、その後の数時間に起きたことを撮影しておきたかった。 彼らはハリケーン対策としてのアンカリング・システムを話し合って、セットアップしてくれたのだ。 とにかく、「アンカーをもっと、ロープをもっと、アンカーをもっと、ロープをもっと」、と繰り返しながら作業を進めて、「水中眼鏡と脚ヒレを貸して」、と言ってはそれを受け取ると水中へ潜っていった。 誰かがカヌーでアンカーを運ぶと、他の人がそれをフリー・ダイビングで海底に固定する。 そして、そこからつながったラインを再び我が艇に持って来る。 てんやわんやの大騒ぎに見えたけれど、結果的には艇は頑丈に固定されたし、一連の作業にはしっかりとした命令系統が成り立っていた。 最終的に、<ブーツ>は固定されていた。 

 フィリップは、島に留まる許可を得るために、島の長に引き合わせると言った。 私たちはそれに応じて、贈答品、コーヒー、砂糖、紅茶、ヘルス・バー、便箋などを持って、人でごったがえした<ブーツ>を後にした。 

 午後5時半には、定期無線に応じるために艇に戻り、<サラク>はアンカーを固定できないためレースを続けることになったと知った。 <ルイーズ>は、<サラク>に引き離されてはたまらいとばかりに走り出したとのこと。 私たちは家に居るのと同じくらい安全な状態でウルルに停泊していた。 私はふと、もう1艇入ってきたらどうするの?と訊いたら、今までこんなことはなかったので、わかららないという回答が返ってきた。 「いつでも歓迎するつもりでいたのに、誰も入ってこなかったんだ」、と彼らは言う。 またしても<ブーツ>が史上初になった瞬間だ。 

 翌朝までは、この状況を打開するすべはないと悟った私たちは、地元の人々に艇上のエクイップメントやコンピュータのチャート、電子メール、セイルなどを紹介することに時間を費やした。 中には、アメリカの友達に電子メールを送りたいと言って、メールアドレスを持って来る人もいた。 何をするにもやたらと時間がかかったので、私たちは傍観者の相手をしながら修理の作業を進めていた。 午後9時半頃になってようやく電子メールの返事がきた。 

 こんなことは、地元の人々には初めての体験だった。 最初の電子メールはオノン・グループからだった。 最初のメールは、島の保健課に勤務するヘンリーのもの。 私がタイプしてあげた。 メッセージの一部は、島に居る36人の中学生のための教育材料を提供して欲しいというものだった。 鉛筆、本、その他の教育に必要な物資が不足しているので送ってほしいという内容だ。 私はそのメールを確かに送信した。 そして疲れ果てていたのでベッドに倒れこんだ。 明日の朝10時には、再度スタートしなければならない。 翌朝の9時半には、地元の人々が艇のアンカーを外す作業を始めていました。 

 午前10時にはレースに復帰していて、他の2艇が先に出発していたことは残念だたtけれど、オノンの島の人々と過ごした時間はかけがえのないものだった自負している。


ENTRY No.9「BOOTS」
レース艇の現在位置